■第一話「ローマ時代シチリヤの美女の喉を潤した炭酸飲科(ヒマラヤ山麓からシトロンの伝搬)」 |
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炭酸検から炭酸飲料の話を書いてほしいとの依頼があった。よもやま話しが良いとのことなのでそれなら多少の眉唾物も含めた誇大妄想の気があってもと勝手に決め引き受けてしまった。しかし炭酸飲料の真面目な話は清涼飲科の常識 ソフトドリンクスその他に多くの書物がある。それらとあまり重ならず肩のこらないものにしようととりかかった。どうかそのつもりでお読みいただきたい。
炭酸飲料というとまさに清涼飲料の大本と云えるだろう。その生い立ちについて想を馳せた。’99年初冬機会を得てヒマラヤ山麓へ出かけた。8000米級の山々というのは首をぐうっと仰ぎ見ないと全貌は現われてこないのである。黎明には白き神々の座が胸に迫り、天地創造、万物創成の気が湧き出ずる。 ネパール中央部にポカラという第2の都市がある。そこのホテルで袋に1つずつ種が入っているが素晴らしく美味しいあふれるばかりのフレーバーで満たされたオレンジに出会った。スクイズドジュースにするとフロリダのオレンジと南イタリヤのブラッドオレンジをミックスしたような味がした。ヒマラヤの山麓はレモンの原種というべきシトロンの原産地として広く知られている。確か古代から知られているブドウの原産地もこの辺だったと思った。 そのシトロンは遠くBC344年マケドニヤのアレキサンダー大王が東征の折欧州へもたらしたという。 シチリヤは地中海の交通の要所にあって、その文化の歴史は古く紀元前からギリシャ、ローマその他の文明が交錯し優雅なうつろいを見せる。島の中央部よりやや南のピアッツァ・アルメリーナにヴィッラ・ロマーナ・デェル・カザーレというほぼ完全に保存されているローマ時代の邸宅(イタリヤ屈指の文化財)がある。モザイクで飾られた床、堂々たる中庭、浴場、食堂、廊下等その壮麗さを今に伝えている。そのモザイクは2000年前のきらびやかな生活を映していて驚きを隠しきれない。その中に現代と見間違うばかりのビキニスタイルの美女が楽し気にスポーツに興じているシーンがあり極めて印象的であった。 ローマがシチリヤを支配するようになったのはBC241年頃でピアッツァ・アルメリーナの邸宅は2世紀頃のものと推定されている。アレキサンダー大王の東征から4~500年経っているのでシトロンが地中海一帯に広まったと考えるのは可能性のあることである。 先日友人から鹿児島産の文旦をいただいた。芳香を発するが実はジューシーさに欠ける。厚い皮を砂糖漬にするとうまいという。何か古代シチリヤへ運ばれて来たシトロンに似た感じを受けた。 「通称は枸櫞(丸佛手柑=マルブッシュカン)(図1)といい学名はCitrus Medicaという本種がシトロン中の代表種である。果実は酸味が強く生食には堪えないがこれを砂糖煮として菓子を製し、又果汁を搾り飲料に供し且つこれより枸櫞酸を製する。又その果枝・葉等より芳香油を採取することも可能でその果を乾燥して漢方に供するとある。今日、生花に供せられる佛手柑はシトロンの一変種である。」シトロンとレモンは同じ果実ではない。シトロンはフランス語でレモンのことである。従ってシトロンとレモンは同じ果実であるという説がある。しかし掘下げて調べて行くとそうではなく別の果実で特にヨーロッパでは歴史的に受け継がれて今日に至っていることが分かる。シトロン、レモン共インド北部ヒマラヤ山麓を原産地とし、レモンはシトロンから派生したと云われる。シトロンは前にも述べたが、BC300年頃ローマに伝播している。レモンはイタリヤにはアフリカ経由で13世紀頃伝来しているという。前にも述べたが日本におけるシトロンは丸佛手柑だが、炭酸検の芝専務の郷里である種子島に果物があって持って来ていただいた。12cm×10cm(長形×短形)の球形に近くうすみどりを帯びた太ったレモン状。白いアルベドが1~2cmと厚く固い。芳香があり酸味も清冽で強く古代イタリヤのシトロンを偲ばせるものがあった。
1)1900年代の初め、シトロンとレモンの香料が別々に存在した。出典:清飲通信(平成14年1月10日号・15日号に掲載) 執筆者:近藤 毅夫氏(一般財団法人日本清涼飲料検査協会規格技術委員) |