■第七話「戦後の貴重な砂糖物語」

 前回はラムネのお話であった。その中に甘味料の使用について述べておられるので、戦後貴重な砂糖物語からその歴史を紐解いて見よう。

 大体砂糖とは素晴しい食品である。もし地上から砂糖なかりせばなんと味気ない生活かと思う。味覚的にも栄養的に考えてもこんな有意義な食品はあまりない。それを未だに不健康の元凶かの如く考えているやからがいる。とんでもない認識不足である。謂く、砂糖の摂取は肥満になる、糖尿病の原因である、骨のカルシウムを溶かす、砂糖が「キレる」原因である等々、短絡して考えるのは間違いである。

 肥満は摂取カロリーと消費カロリーとどちらが多いかで決まる。このエネルギーは蛋白質、炭水化物(砂糖はこの仲間)で1g当り4キロカロリー、脂質(これが曲者)が9キロカロリーである。肥満は脂質の摂取率と比例し、糖質の摂取率とは逆比例するというデーターがある。
 糖尿病は生活習慣病のひとつとされ一般に中年以降発症する。この糖尿病についてFAO/WHO報告書は「砂糖やその他の糖が病気に直接関与するとは考えられない」としている。糖尿病は遺伝的背景に肥満、過食、運動不足、ストレス等が発症因子として作用するのである。「糖尿病」という病名は、この病気にかかると血糖値が高くなり尿中に糖が出ることからつけられたらしい。外国では英語は[diabetes mellitus](体のものが溶け出す)、中国語では[消渇]で「糖」が原因という誤解は生れない。
 それから昔、「砂糖は血液を酸性にし中和のため骨のカルシウムが奪れる」という説が誠しやかにささやかれたことがある。だいたい砂糖が血液を酸性にするという根拠はない。

 話を元に戻そう。炭酸飲料の原料の中で、甘味料は、水、炭酸ガス、フレーバー、酸味料、着色料と肩を並べて重要である。
 前号の記事によると砂糖は統制品時代があり、他の人工甘味料の混入が出来なかったとある。それが1951年(昭和26年)に7割迄人工甘味料を併用しても差支えなし、ということになった。ここで砂糖にサッカリン、ズルチンが併用の通が開かれ、1956年(昭和31年)頃迄炭酸飲料の甘味料の主流となった。この年サイクラミン酸ソーダ(チクロ)が認可され急速に広まった。このチクロは当時人工甘味料の中でも群を抜いて砂糖の甘味に近く人気が高かった。
 ところが1969年(昭和44年)、世に云う「チクロショック」が起き使用禁止となった。炭酸飲料の甘味料は既にサッカリンは使用制限されており、ズルチンは1967年(昭和42年)に使用禁止になっていたので再び砂糖に切り替えざるを得なかったのである。
 言う迄もなく透明炭酸飲料のフレーバードシロップはキラキラ輝くようなシンプルシロップを使用するのが鉄則でそのことが品質に大いに影響した。あの真白に見える固形の砂糖は当時グレードの高いグラニュウ糖であっても綿密な濾過が必要であった。

 各社共全糖製品が整った1970年(昭和45年)頃から1974年頃にかけて砂糖が原因で奇妙な現象が起きた。
 透明炭酸飲料(壜詰品)の底部にフロック状沈澱物がしばしば発見されるようになったのである。
 そのフロックの形状は直径4~2mm程度のマリモ状、またはフケ状で、色は灰色をしておりいずれもふわふわして脆く非常に壊れ易かった。フロックは微生物のようにも見え当然品質クレームの対象となった。このフロックは曝光によっても成長した。壊れてもまた沈澱復元し溶けて消え去ることはなかった。
 製糖メーカーも苦慮し調査研究を重ねフロック発生は原料糖の産地による差があるらしいことが分った。アフリカのナタール産がフロックマイナスの確率が高く注目された。1973年(昭和48年)に精糖工業会はこれ等のフロックを大量に採取し検査したところその組成はグルコース、ガラクトース、マンノース等6種の糖からなる多糖類であることが判明した。更に原因については天候不順年に収穫されたオーストラリア産のケインシュガーにフロック発生の傾向が強いことが認められた。しかし結局は製糖メーカーの砂糖製造技術に問題があり、砂糖中に多糖類が残留しフロック発生の原因となったことが突きとめられた。ビート糖では再結晶法で製糖したが、こちらの方はフロックマイナスで特に問題は起らなかった。

 天候不順の折は植物体の生命保持に微妙な変化をもたらしたのであろう。ビール大麦等も天候不順時の収穫物はビール品質に影響するようである。

 上記のような経緯で糖フロック問題も切り抜けた。その後、異性化糖の出現で御存知の通り主流は砂糖から異性化糖へ移った。しかし乍ら砂糖には依然として独特の能力があって何物にも代え難い存在価値を有している。現在は御存知の通り種々能書を持った甘味料花盛りである。

 昔のヨーロッパへ舞台を移そう。砂糖と清涼飲料とのかかわりは深い。砂糖が世に出る前ははちみつ、いちぢく、デーツのシロップ、ぶどう系の果汁を甘味料として使っていた。
 甘煮糖はインドが原産地と云われ7~8世紀頃には濃縮された形で中近東、地中海沿岸、ヨーロッパ各国へ運ばれた。チョコレート、コーヒー、紅茶飲料が普及し砂糖の需要が高まって行った。この頃からアフリカの原住民が奴隷として中南米で砂糖の栽培にかりたてられた歴史がある。前に述べたジンジャー(しょうが)は彼達の人口維持のため植えられ使用されたらしい。

 甜菜糖はカスピ海沿岸、コーカサスが原産地でヨーロッパ地中海沿岸国で1840年代に生産の基礎が確立された。
 砂糖の製造技術として分蜜の技術が確立しそれによって精製された砂糖は種々の飲料、キャンデイ、チョコレート等の菓子、アイスクリーム等用途は拡大されて行った。この分蜜の技術の発生の経緯は確たる証拠はないが大きなエポックとなった。

 砂糖は古くは薬として珍重されていたが果物の砂糖漬け等その保存性を利用していた。糖を使うことにより食品や飲料の水分活性力が低くなりそのため微生物の活動が抑止される。
 砂糖は勿論好しい味を楽しませることが第一義の役目だが砂糖のもつ高いエネルギーと迅速に体内に吸収し得る点でも重要な役目を果たして来たのである。そのエネルギー源としての働きの中でも「脳のエネルギー」を考えるのに砂糖の力を忘れてはならない。脳の重さは体重の2%だがエネルギー消費量は全体の20%を占める。砂糖は前述のように消化吸収が早くブドウ糖に変えられエネルギー源となるため、脳のエネルギー補給には砂糖の摂取は効果的で重要な意義をもつのである。

 1973年(昭和48年)オイルショック寸前の秋、ブラジル、サンパウロの北方300~200km位にある長距離トラックの休憩所に居た。ブラジルの平原を南北に縦断している道路風景は真赤な土の真中に黒いアスファルトの道が真直ぐに地平線迄伸び、丸いマンゴーの木が数本、わびしげに立っているだけであった。暑くほこりっぽい倉庫の片隅に椰子の実のジュースや果物を売っていた。その隣に大きなサーキュレーターのついたコーヒースタンドがあり、トラックの運転手が小さなデミタスでコーヒーを飲みながらたむろしていた。筆者も早速そのコーヒーを飲んでみた。熱く非常に苦い。そして恐しく甘いのである。砂糖は始めからサーキュレーターに入っていた。コーヒー、砂糖共手近にあるため、たっぷり使っているのかと思ったが、一寸して上思議とつかれがとれた感じがした。砂糖のエネルギーとカフェインが脳の中で見事に融合したのだろう。このデミタスコーヒーの偉大さとブラジルの人の生活の知恵を知った一刻であった。

 参考資料:砂糖の本当を知る(農畜産業新興事業団)
       :サッポロビール120年史(サッポロビール(株))、ソフトドリンクス(山崎三吉)
 出典:清飲通信(平成14年4月15日号に掲載)
 執筆者:近藤 毅夫氏(一般財団法人日本清涼飲料検査協会規格技術委員)


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