■第十一話「炭酸飲料と消費税の変遷」 |
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1.清涼飲料税法の創設
1914年(大正3年)7月第1次世界大戦が勃発、1918年(大正7年)11月にドイツの敗北によって終結したが、この欧州大戦後、世界経済形態の激変に伴い、日本経済界の異状なる発展並びに軍事費の増大を招くこととなり、国家経済が膨張し財政を圧迫したため、政府は種々の増税策を図った。
その一つに清涼飲料税の創設があった。炭酸飲料は明治時代はラムネが大衆品として主流であったが、1905年(明治38年)頃からビール会社でサイダーの製造販売を始めるに至ってその消費は高級料理店等に伸長し、その結果、酒類と同じように高級飲料として第1次世界大戦中の財政の財源として注目されるようになった。
第1次世界大戦の終結に先立つ1917年(大正6年)寺内内閣時代に清涼飲料(炭酸飲料)の課税問題を帝国議会で取り上げられたので、同年12月に全国清涼飲料課税反対同盟会は当局に対し課税反対の運動を起した。この課税反対運動が功を奏したのか、課税法案の上程は見送られたが、全国各地の業者は団体の力が必要であることの認識を深め1918年(大正7年)11月に全国清涼飲料水同業組合(現、(社)全国清涼飲料工業会)を設立したのである。
1925年(大正14年)に再び清涼飲料税の創設問題が起り、全国団体が中心となった課税反対運動にもかかわらず、1926年(大正15年)1月若槻内閣によって帝国議会を通過し同年3月に法律第16号をもって清涼飲料税法が公布され4月1日より施行されたのである。当時の清涼飲料税法は23条から成っているが、定義、課税対象品、製造免許取得、製造者課税に関する第1条から第4条を次のとおり掲載し第5条以下は省略した。
清涼飲料税法第1条では、清涼飲料は全重量の10,000分の5を超える重量の炭酸ガスを含有するもの及び酒精分1%以下の炭酸飲料だけが課税対象であった。 第2条では、第1種は玉ラムネ瓶詰、第2種はラムネ以外の玉冠による瓶詰サイダー、シトロン、タンサン水、ジンジャーエール等、第3種はタンク詰ソーダ水等であった。 第3条では、清涼飲料(炭酸飲料)業者は製造場1か所ごとに政府の免許を必要とし、1948年(昭和23年)7月食品衛生法に移行されるまで免許制が続いたのである。
2.清涼飲料税の増税の変遷
1926年(大正15年)の課税されてより1939年(昭和14年)3月までは増税がなかったが、日中戦争、特に1941年(昭和16年)12月の太平洋戦争の開始以降増税され、終戦前の1944年(昭和19年)には石(180L)当たり第1種(ラムネ)は当初の10倍の70円、第2種(サイダー等)は16倍の160円、第3種(瓶詰以外のもの)は16、7倍の50円となり、一時販売金額の60%を占める状態であった。
1945年(昭和20年)の終戦後はインフレの急激な進行と国家財政の税収面から急上昇し、1948年(昭和23年)7月には第1種(ラムネ)で石(180L)当り5,300円、第2種(サイダー等)は9,500円、第3種(瓶詰以外のもの)3,500円と毎年のように増税された。
当時清涼飲料は物価庁の販売価格の統制額が同年7月7日物価庁告示第426号で次のとおり指定されている。
なお、清涼飲料税の改正の変遷は次のとおりである。
3.清涼飲料税が廃止され物品税に統合
1949年(昭和24年)9月、シャウプ勧告による税制改革が発表され、1950年(昭和25年)1月、清涼飲料税を廃止し物品税に統合された。物品税は、1937年(昭和12年)日中戦争の勃発により国費が膨張したので嗜好飲料にも課税することになり、戦時立法として1939年4月、物品税法を施行し、嗜好飲料(牛乳又は乳製品を原料とする酸性飲料、果実汁、果実みつ、コーヒー、シロップ及びこれに類するもの)を課税し製造者移出価格の10%が税額であった。
物品税に統合された炭酸飲料の税額は石(180L)当り玉ラムネは4,500円から3,000円に、サイダー類は8,000円から5,000円に、タンク詰ソーダ水は3,000円から1,500円に減税されたのである。また、統制価格も廃止され自由競争時代に突入し業界も新しい局面を迎えることになった。さらに同年12月に減税が行われたが、年中行事のように要望していた廃税には至らなかった。
1959年(昭和34年)4月の物品税の改正は、計量法が改正されメートル制となったころからサイダー類は石(180L)当り2,000円からkl当り11,000円(340ml当り3円74銭)となり小売価格からみると約10%が税額であった。この改正によって中小企業にとっては長年の悲願であった玉ラムネが、その消費が主として子供であることと1本当りの単価が安いこと、加えて需要の低迷と過当競争などから無税に、また、第3種のタンク詰ソーダ水についても、当時ドライアイスを使用したタンク式のソーダ水が出回るようになり、その炭酸ガス使用量の算定がむずかしいという徴税技術上の点を考慮され無税となったのである。
さらに1966年(昭和41年)4月、炭酸飲料に対する課税が従量税から従価税に変更され、税率は5%で嗜好飲料のように課税最低限の制度は導入されなかった。この5%の税率は1989年(平成1年)消費税が導入されるまで続いた。なお、炭酸飲料の物品税の変遷は次のとおりである。
平成元年4月消費税の導入により物品税は廃止された。物品税が廃止される最終段階での課税対象では、飲料類及び飲料用のし好品(酒税を課されるものを除く。)とされ飲食料品のうち次のものだけが課税対象として残った。
(1)果実水及び果実みつ並びにこれらに類するもの(1)~(3)は飲料であり飲食品中の唯一の課税品となり他の競合商品と正常な競争ができない立場におかれていた。
4.消費税の導入
1988年(昭和63年)、政府与党は財政の根幹である税収の安定化を図るためには直接税と間接問税の税比率の改善が急務であるとして、以前にも検討されてきた売上税に代わる間接税として消費税の創設を計画し、1988年(昭和63年)12月30日公布され、1989年(平成元年)4月より消費税が施行され税率3%が課税されることになった。消費税法の施行に伴い炭酸飲料は清涼飲料税→物品税と63年間にわたり戦時税として、戦後は財政をまかなうために課税されてきた競合商品との不利・不公平からの長年の悲願が一応達成されることになったといえよう。
消費税の導入に際しては3%の税額の転嫁方法が生じた。店頭売りはあまり支障は生じないものの、缶飲料は自動販売機で大部分が販売され当時は1缶100円であったため転嫁は難しかった。物品税が5%課税されていた炭酸飲料は、その免税分で消費税はほほ相殺されたが、果実飲科のJAS製品は物品税が免除されており、コーヒー飲料、紅茶飲料等は新しい課税となり販売価格の中で税額分を吸収するしかなく、企業の負担が増大することになった。
1992年(平成4年)には流通経費、人件費等の上昇に対応するため、10年ぶりに約10%アップの価格改訂が行われた。税率3%で始まった消費税も1997年(平成9年)4月から5%に増税され現在に至っている。
参考資料:業界回顧史(1935年「昭和10年《)東京清涼飲料水共同組合
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